シルクロード日記:ウズベキスタン
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 天  候:晴れ  最高高度:--m
最高気温:--度 終点高度:--m
最低気温:--度 終点緯度:--.--.--
走行距離:--km 終点経度:--.--.--
走行時間:--時間--分 宿泊:D 慶一&クリス宅
終着地 :ヌクス 宿泊代 :0
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2004年8月25日(水)
タヒャターシの精神病院を見学  愛猫トーチカ(ロシア語で「・(ドット)」という意味)
タヒャターシの精神病院を見学 愛猫トーチカ(ロシア語で「・(ドット)」という意味)
今日は精神病院を見学へ行く。いつもの格好ではだめなので佐藤さんからスーツ、シャツ、ネクタイ、靴下、靴を借用して身だしなみを整えた。だが借り物なのでどこかちぐはぐな印象だ。しかし佐藤さんの「途上国になればなるほど見かけで勝負ですから」という説得力のあるお言葉でスーツを借りることになったわけだ。病院へ行く前に保健省で大臣に会っていくということでまずは保健省へ。アポなしのためしばらく待った。保健相は中年の女性で映画「マトリックス」に出てくる預言者に似ている、存在感のある人だった。日本の精神科医が休暇でウズベキスタンに来ていて、この国と日本の精神医療について意見を交換する場を設ける意味で佐藤さんが私を招待した、という説明をした。保健相は理解してくれてタヒャターシとチンバイの病院を推薦してくれた。ひとまずこれで病院見学は可能になったわけだ。しかし前もって連絡してしまうと彼らがよい部分だけ見せようとするのではないかと私たちは心配していた。もしくは、援助を期待してどんなに悲惨な状況なのか強調するかだ。

保健省を出るとバスターミナルへ行きミニバスでタヒャターシへ行った。病院はタヒャターシのバスターミナルから歩いて行ける距離にあった。病院を訪ねるとすでに保健相から連絡が入っていたようで快く出迎えてくれた。はじめに院長と話し、その後患者さんと会話し、さらに女子病棟を見せてもらった。病棟はかなり古くて汚く、しかもあちこち改装中で全く落ち着かない雰囲気だった。細かい内容は後に記すとして、印象を総括すると、懸命に治療に当たっているが知識も物資もかなり不足していると思う。精神科に限らずいわゆる身体科でも、採血検査のできる病院が都市部でさえほとんどないという状況だ。こんなことを続けている間に周りの世界がどんどん進歩してしまってソビエトは崩壊したわけだ。

帰ってくるともうクタクタで部屋で一休みしてから3人で食事に出かけ、ビールをさんざん飲んだら大金を使ってしまった。外国産のビールは2000ソムした。これじゃあ日本と変わらない。完全に酒がまわり、部屋へ帰って3人でいろいろな話をしてからバタンと寝てしまった。

☆タヒャターシ(ヌクスの南20km)の精神病院
2m弱の高さの白い塀に囲まれているが、門は開放されていた。全部で250床あり、開放病棟と閉鎖病棟がある。内訳は男子開放30床、女子開放45床、男子閉鎖50床、女子閉鎖60床で、残りは結核病棟。病棟業務だけでなく外来部門もあり、そこで院長から直接話を聞けた。ただし私はロシア語も現地語も話せないので、彼はカラ・カルパック語、私は英語で話し、通訳してもらった。この病院では病棟担当10名、外来担当4名、あわせて14名の医者が働いている。患者層は統合失調症が多数、その他にはてんかん、うつ病、躁うつ病、外傷性痴呆、老年痴呆など。初発のてんかんは最近では内科で診察されることが多いようだ。アルコール疾患については専門の病院が別にある。DSM、ICDといった診断基準は一切使っていないようで、院長はDSMもICDも知らなかった。統合失調症の治療にはHaloperidolを使用しており、非定型抗精神病薬は使用していない。院長はRisperidone、Olanzapine、Quetiapineをよく知らない様子だった。Haloperidolの投与量は1.5-5mgとの返答。薬品庫を直接見せてもらったが内容はかなり貧弱で、薬剤性パーキンソニズムにはMadoperを用いるとのことだった。他にあった薬を列記するとBenzonal、Carbamazepine、Clonazepam、Diazepam、Rohypnol、Amitriptylin、Dormicum、Rudotelなど。ロシア製と思われるものも多かった。平均在院日数は45-55日との返答だが、きちんと統計を取っているとは思えず当てにならないと判断した。「他の病院には長期入院患者が多い」とのこと。ウズベキスタンでは自殺者が多いが新聞には出ないという。
外来の診察室で患者さんと通訳を介して話すことが許された。

<17歳男性>
外来初診患者。色黒の青年。質問者に視線を合わせず、ずっと微笑を浮かべている。ほとんど言葉を発しない。Tシャツに短パンという姿で身だしなみは整っている。夜寝ないで歩き回ってしまうために家族が困って連れてきた。トルクメニスタン国境に近い村に住んでおり、家族が知らない間にトルクメニスタンまで行ってしまった。手を洗うのを止められないという強迫症状がある。数学が好きだと言うが計算ができない。カザフ語のクラスも好きだと言う。長姉も精神的に問題がありけいれん発作を起して死亡した(詳細不明)。本日入院させる方針。

<21歳女性>
初回入院中で2ヶ月経過。ワンピースを着た若い女性。体型はふっくらとしている。流涎が顕著で何度も服で口をぬぐっている。表情は弛緩しており目はうつろ。質問されると自分で答える。主訴としては、不眠で経過し、とくに夜に家族に対して攻撃的になった。心配した家族に連れられて来院し入院となった。服薬には応じたが症状が改善せず、デポー注を施行。現在も月2回施行している。(いま困っていることは?)と尋ねると「食べられない、飲めない」との返事。スタッフによれば攻撃性は改善されたとのこと。

<33歳女性>
当院への入院は初めてで2ヶ月経過。妄想型統合失調症。これまでは伝統的な治療(シャーマニズム?)を受けてきたが改善せず当院受診となった。追跡妄想が顕著で恐怖感が強い。幻聴のために「声の区別がつかない」と訴える。幻視症状も強固で「写真が怖い」「影が怖い」などと訴える。希死念慮・自殺企図のため家庭では対応困難。やせ細っており顔にしわが多く、年齢よりもずっと年老いて見える。表情は弛緩しておりほとんど言葉を発しない。流涎が顕著。大学を卒業し銀行で働いていたとのことだが現在の姿からは想像がつかない。服薬には応じておりHaloperidol 4.5mg/day、Triptadine、ビタミン剤を内服している。抗うつ薬を使用しているのは抑うつ症状があるためという説明だった。

<26歳男性>
2回目の入院中で、10日経過。色白の男性。視線を合わせてきちんと自分で質問に答える。表情はやや疲れており、体を小刻みに動かし落ち着いて座っていられない。一か所にじっとしていられず、夜間にあちこち歩き回り自分で覚えていない。入院して落ち着いてきたが「今も頭に問題がある」と自ら語る。学校を卒業して軍隊に入ってからこれらの症状が出現するようになった。一年前にも同様のエピソードがあり1ヶ月入院した。症状を人に話すのが怖くて今回は一人で来院した。
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