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2004年8月8日(日) |
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今日はリシュタンを出発する。アジアカップ目当てだったが滞在を一日延長したおかげでガニツェル所長ともまた会えたし、あきらさんとも出会えた。見送ってくれるくれる人が多ければ気持ちは明るくなるというものだ。お世話になったお礼に愛用のサイクリングシャツをプレゼントし、ガニツェルさんからは食料(ナンときゅうり)を分けてもらった。いつもの出発のようにさらりと別れてリシュタンの中心部へ向かった。フェルガナ盆地の中にあって日本語の通じる、何だか不思議な空間だった。また来たいなあ。
リシュタンを出るとしばらく下りが続いた。タシケントヘ行くには2200mのカムチク峠を越えないといけないが、コーカンまで一度下ってしまう。しばらくしてコーカン郊外に到達。昨日見た風景、見覚えのある道を進み、町の中心部を回避して効率良く走る。アディクが助手席の私に丁寧に道を説明してくれたおかげだ。ありがとう。
町外れのカフェで腹ごしらえをしてコーカンを離れた。しばらくしてチェーンが外れてしまいすぐに直したが、その後からどうしても変速がうまくいかない。よく調べるとチェーンが曲がっていた。とりあえず工具で修復できたが、チェーンの強度が不安・・・。コーカンから20kmほど走ったところに検問があり、けっこうしっかりとパスポートをチェックされた。タシケントはすっかりテ口の町になってしまったが、あるグループの首謀者がフェルガナ地方の人間だったらしく、フェルガナ盆地からタシケントヘ抜ける要所のここは関所となっている。この検問を通過するといよいよアップだ。そこそこの勾配をひたすら上っていくとても長い坂で、変化が少ないためきつい。村はあるが店は少なく寂しい感じだ。
やがてQO'SHMINORという、山のふもとの小さな村に着いた。ここにも検問がある。日暮れも迫っておりそろそろテントを張るポイントを見つけないと・・・と思っていると目の前でナンを売っていたのでとりあえず購入。そしてガニツェルさんが書いてくれたウズベク語の手紙を見せると、その商店の物置小屋に泊めてもらえることになった。その手紙には「泊めてください。パンを売ってください」という内容が書いてある。いきなり効果てき面だ。
物置小屋には大きな台があり、その上で寝させてもらった。夜には簡単な食事も頂いてぐっすり入眠。ところが3時前にいきなり人が入ってきた。ナンを焼くための仕込みをするらしい。ここはパン工房だったのだ。今度は表へ移って青空ベッドでまたぐっすり入眠。どこでも眠れるものだなあ。 |
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