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2004年8月24日(火) |
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今朝は6時に起きて朝食。いよいよ夫妻が帰る日だ。朝のヒヴァを散歩するために早起きした。朝食は西洋式とウズベク式の折衷のような感じで、がんばっているのはわかるがちぐはぐだった。昨日歩いた街並みをもう一度歩いたが、みやげ物屋もレストランも閉まっていて、静かな町はまた違った感じがしてよかった。
宿に戻るといよいよ支度をして出発だ。二人はウルゲンチの空港まで35km走ってそこからタシケントへ飛び、そのまま飛行機を乗り継いで東京へ帰る。私はバスでヌクスへ向かい海外青年協力隊の佐藤慶一さん宅に滞在する予定だ。1週間の3人旅もここで終わり。ペンションを出てみやげ物屋に寄り、西門を出てそこで記念撮影。二人はウルゲンチ空港へ向けて走っていった。私はミニバスでウルゲンチへ。やっぱり別れはさみしいがヌクスでは佐藤さんが待っている。出会いと別れの繰り返しだ。
ミニバスは300ソムだった。ウルゲンチの長距離バスターミナルから少し離れた場所で降ろされたが、運転手に教えてもらい歩いてバスターミナルへ行った。隣はバザールになっておりにぎやかで面白かった。買っていないので値段は分からないが品揃えは豊富に見えた。バスターミナルの端ではタクシーが行き先別に待っていて、ヌクスまでは4人で割り勘にして一人3000ソムということだった。私は3人目で最後の一人がなかなか現れず30分くらい待たされてから出発した。他の3人は皆カラ・カルパクスタン人でカラ・カルパック語で話していたのが新鮮だった。助手席のおじさんが「アワ(Yes)、アワ、アワ」と連発していた。先日ヒヴァに行ったときに車が故障して痛い目にあったが今日のタクシーは何の問題もなく昼過ぎにはヌクスへ到着した。バスターミナルから電話するつもりだったがターミナルは町の端にあるため、中心部のホテルタシケントで降ろされた。ここのフロントには公衆電話はなく、結局は自分の携帯電話から佐藤さんに電話して迎えに来てもらった。10分ほどしてついに佐藤さんと対面した。最初にメールした頃はヌクスがどこにあるのかなんて知らなかったが、実際にここまで来て会うことになった。思えば遠くへ来たものだ。
ミニバスで佐藤さんのアパートへ移動し、ルームメートのアメリカ人クリスさんにあいさつ。婚約者の韓国系ウズベキスタン人ベロニカさんともあいさつした。二人は来月にもアメリカへ渡るそうだ。アパートは水まわりが悪く、ガスコンロでお湯を沸かし水と混ぜて体を洗うという方法だった。これは中国の安宿でよく見るやり方で思わずなつかしくなってしまった。夕飯は佐藤さんがハンバーグをつくってくれた。何だか学生の共同生活みたいだ。協力隊員として来ている佐藤さんは任期2年の間は日本に帰れないそうで、大変な生活をしているなあと思った。彼はなかなか積極的な性格で物事をどんどん進めてくれるので精神病院見学も可能そうだ。夜はテレビで映画「バットマン」を観てから寝た。 |
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