シルクロード日記:ウズベキスタン
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 天  候:晴れ  最高高度:--m
最高気温:--度 終点高度:--m
最低気温:--度 終点緯度:--.--.--
走行距離:--km 終点経度:--.--.--
走行時間:--時間--分 宿泊:D NORIKO学級
終着地:リシュタン 宿泊代:0
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2004年8月7日(土)
日本人慰霊碑。安らかに  フダヤル・ハーンの宮殿
日本人慰霊碑。安らかに フダヤル・ハーンの宮殿
今日もハビとジキは朝からサッカーをしていたらしい。熱心に誘ってくれるのはうれしいが、朝の5時からなので私は参加していない。5時からサッカーをするなんて日本のラジオ体操なんて目じゃない。朝食の後で部屋に戻ると大勢の子供たちがやってきた。みんなで教室のそうじをするとのこと。今日あきらさんがリシュタンに到着するので、授業を受ける準備をするのだろう。手づくり感のある学校で、ぬくもりがある。

ガニシェル所長の弟さんは有名陶芸家で、今日はNORIKO学級内で陶芸をしている。リシュタンのモスクを修復した際、タイルを製作したという人だ。この人から突如コーカンヘ行かないかと誘いを受けて、息子さんのフェルズくんと一緒に車で出かけることになった。運転はロシア人のアディクが担当。昔ロシアブDJをしていたり、軍隊経験があったりと面白い人で、雑学が豊富。フェルズくんが自然な日本語でアディクと私の間を通訳してくれた。我々の乗っている車はDAEWOO製の白いセダン。DAEWOOは韓国のメーカーで、ウズベクで合弁企業をつくり自動車を供給している。国産車はDAEWOOの4車種のみで、外国車は100%(?)の関税がかかるためDAEWOOをやたら見かける。あとは旧ソ連製の年代物が多く、日本車はまず見かけない。このDAEWOO車はガスでもガソリンでも走るらしく、アディクはあちこち走り回ってガススタンドを探していたがどこもガスを切らしており、結局ガソリンを入れた。ウズベクは天然ガスを自給しているはずだが、パイプラインを含めた輸送に難があるのかもしれない。そういえばタシケントへ来る途中ずっとパイプラインを横目に見て走ったが、あれは何だったのだろう。

日本人墓地に寄ってもらいお参りをした。墓地の一角に日本人の名前が刻まれた小さな墓が並んでいた。近くにはイタリア人の墓が集められた区画などもあり、いずれも抑留者のようだ。日本名はほとんど漢字だったが、中にはカタカナのものもあった。何だかかわいそうになった。当時こんなところまで連れてこられて日本へ帰ることなく亡くなった人たち。いったいどんな気持ちで東の空を眺めていたのだろうか。慰霊碑に向かって静かに手を合わせた。

さて、しんみりした気持ちを切りかえて、フダヤル・ハーンの宮殿を観光。フェルズが日本語でいろいろと説明してくれた。かなり破壊されて今では小規模になっていたのが残念。そして3人でレストランへ。ボルシチを注文したらうまかった。
腹を満たした後はリシュタンヘ。道路が混んでいるはずもなく、サッカーアジアカップの決勝戦には余裕で間に合った。ハビ、ジキと一緒に観戦し、結果は3対1で日本の勝利。これでアジアカップ2連覇だ。中国人は今ごろ、日本の2点目がハンドじゃないかなどと騒いでいるだろう。すでに中国を出た後でよかった。

サッカーが終わってしばらくしてあきらさんがついに到着。ガニツェルさんと一緒に車でやってきた。子供たちをはじめとした村(町?)の人たちが集まってきて大歓迎。あきらさんが教えに来るのは2回目だそうで、今回は2週間教える予定だという。「また一緒に勉強しような」という言葉がとても印象的だった。前回は仕事の休みを使ってリシュタンヘ来たのだが、それをきっかけに本格的に日本語教師になる道を選び、来月からロシアの大学で教えるのだという。30過ぎの大きな決断だ。そして、盛りだくさんの一日を締めくくるのはガニツェルさんの夢。いつか日本を自転車で旅行したいと熱く語っていた。私と会う前から「地球と話す会」と交流があり自転車旅行について色々と話を聞いていたようだ。自転車の用意も含めて協力できると伝えておいた。ガニツェルさんの夢がかなう日が楽しみだ。
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