シルクロード日記:ウズベキスタン
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 天  候:晴れ  最高高度:--m
最高気温:--度 終点高度:--m
最低気温:--度 終点緯度:--.--.--
走行距離:--km 終点経度:--.--.--
走行時間:--時間--分 宿泊:A ペンション<アトー>
終着地 :ブハラ 宿泊代 :10$
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2004年8月22日(日)
ブハラには中世の町並みが残る  民族衣装を着た二人と
ブハラには中世の町並みが残る 民族衣装を着た二人と
今日の朝食は豪華だ。食べきれないほど出てきたのでうれしくなった。チーズを久しぶりに食べた気がするし、フルーツもおいしかった。ここのおじさんがアルク(ブハラ旧市街の内城)まで車で送ってくれて、ブハラ観光がスタート。アルクはみやげ物屋と博物館が雑居しているような感じで、上からの景色も大したことがなくて、あまりよくなかった。そこから歩いてバラ・ハウズのモスクへ行ったが改装中で中に入れなかった。どうも調子が出ない。しばらく歩いて中心部へ行き、絨毯バザールを抜けてカラーン・モスクへ。ソ連時代は倉庫として使われていたとのことだが状態が良くて、装飾もきれいだった。ミナレットも高いものできれいだった。向かいのミーリ・アラブのマドラサは奥のほうは改装中で、入っていったら怒られてしまった。その後はみやげ物屋の子供につかまりとても面倒くさかった。怪しげな日本語と英語で話しかけてきてしつこい。言うことはコロコロ変わるし全く信用できない。あっさりとしているサマルカンドとはえらい違いだ。暑くて疲れてきたしモスクばかりで飽きてしまい、ウルグベクのマドラサとアブドゥル・アジズ・ハーンのマドラサは外から眺めるだけで中には入らなかった。とくにアブドゥル〜は入り口がいきなりみやげ物屋でげんなりしてしまった。そこから方向を変えて南へ歩くとラビハウズがあり、六角形の水面のまわりでみんなのんびりとしている。私たちもここで一休み。AZIAビールを頼んだが評判どおりおいしかった。ただしここは観光地化されているので料金が高めだ。レストランのトイレに入ったが100ソムも取られてびっくりした。一けた多い。

ラビハウズのそばにツーリストインフォメーションがあり、夫妻のヒヴァ〜タシケントの航空券と、私たち3人のブハラ〜ヒヴァの車の手配を依頼したところ4時にもう一度来いと言われた。町外れのチャール・ミナールまで歩いたがここも中はみやげ物屋になっていた。ミナールも良かったがそこまでの散歩は住宅地を通り面白かった。暑くなってきてさすがに疲れたのでタクシーで一気にペンションまで帰り休憩。2人は自転車で外出
し、ツーリストインフォにも寄ってくるとのことだった。疲労度が違う上に私の生活のペースが現地化しているのでどうしても行動がずれてしまうのは仕方ない。

部屋で荷物を整理してから横になったころ、二人が帰ってきた。ヒヴァまでの車チャーターは普通は60$だが自転車を2台積むために大きな車を借りるので90$になったとのことだった。この国は月収20$で生活できるわけでかなりの高額だ。マージンをだいぶ取っているようだ。飛行機のチケットも係りに空港まで車を飛ばさせて現物が手に入ったとのことで用事は済んだ。二人に感謝しなければ。

まもなく夕食となった(3人で10$)。食べているうちに近所の人や親戚が集まってきて大変な賑わいとなった。肝心の料理はブロフ(ピラフ)をリクエストしたのだが、これが本当においしかった。西に行くにつれてピラフがおいしくなってきた。しかし夫妻はこちらの油分の多い料理に胃をやられぎみのようで食欲が出ず、おばあさん自慢のピラフをたくさん残したので少し怒らせてしまった。私は食欲充分だったがさすがに一人ではどうしようもない。フェルガナと違い西部では平気でお酒を飲む人が多く(ムスリムは酒を飲んではいけない)、ここのおじさんは手作りのチェリー酒をふるまってくれた。これが実においしかった。皆盛り上がってきておしゃべりな女性たちの質問は細川さん(奥さん)に集中する。英語学科の学生が通訳するので意志の疎通は問題ない。日本の女性がこうやって自由に旅行したり働いてよい収入を得たりするのがうらやましいようだ。そのうち結婚式用の民族衣装を着せてあげようという話になり、夫妻は着せ替え人形と化した。次から次へと衣装が出てきて新婦はどんどん着替えていく。新郎はずっと同じ服だ。写真を取りまくり皆が盛り上がっていた。昼の観光がかすんでしまうようなにぎやかな夜になった。
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