シルクロード日記:ウズベキスタン
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 天  候:晴れ  最高高度:720m
最高気温:43度 終点高度:395m
最低気温:--度 終点緯度:40.01.72
走行距離:116.6km 終点経度:65.42.04
走行時間:6時間 宿泊:D チャイハナ
終着地 :-- 宿泊代 :0
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2004年8月20日(金)
同行者がいるのでこういう写真も撮ってもらえる  左タイガ、右レイ
同行者がいるのでこういう写真も撮ってもらえる 左タイガ、右レイ
今日は3人でスタートだ。親切にしてくれたペンションの人と別れを惜しむ。私たちがブハラに行くということで、ブハラにいる親戚がやっているペンションを紹介してくれた。ここサマルカンドから250キロ、3日の道のりだ。2人(細川夫妻)はきちんと後続の私に手で右折、左折、停車などの合図を送ってくれる。どんな状況でも信号では必ず停まるし、中国のマナーの悪さに慣れきった私としては頭が下がる。もっとも、中国では赤信号だからといってうかつに停まると追突されることがあるけれど。

道を間違えることなくサマルカンドの町を脱出し、順調に郊外へ出た。朝はかなり涼しいけれど8時を過ぎると暑くなってくる。郊外を過ぎると町もなくなり、気候がだんだん乾燥してきて、砂漠を思い出させてくれる。しかし実際には砂漠はまだ遠いので、いくら乾燥地帯といっても無人にはならない。追い風に乗ってどんどん飛ばして快調に進む。3台はほとんどずっとタイガ(細川夫、敬称略)、レイ(細川夫、敬称略)、私の順番で走った。やはり荷物が重い分私の自転車は遅いので、先頭を行くタイガ車のペースはずいぶん速く感じてしまう。私のペースはGPS表示でいうとMovingAverage(停車時間を除いた走行時間での平均速度)18km/hしかない。しかし今日はこれよりプラス2-3kmのペースで走っている。そんなハイペースな私たちだがトラブルがないわけではなく、レイ車の後輪がパンクを繰り返したために何度も修理をした。結局原因は不明だったがタイヤがかなり細かったので(1.5インチ!!)荷物の重さに耐えられなかったのではないかという話になりタイガ車に荷物を詰め替えていた。重量でいけば私の自転車の方が重いわけでやはりタイヤの違いだなと思った。こっちは速く走ろうという意識は希薄なので自転車のセッティングもずいぶんと異なるわけだ。夫妻がバス停でパンク修理している間に私は裏の木陰でマットをしいて昼寝。幸せなひと時だ。

3人で走るならやってみたいと思っていたことが一つある。それはスイカや瓜を食べること。一人では絶対に食べきれないし、食べてもお腹を壊すので、ぜひ3人の時にやろうと思っていた。私の個人的な感想としては、ウズベキスタンの瓜はたしかに旨いが新疆(中国)のものに劣ると思う(ちなみに有名なハミ瓜はハミではなくピチャンでとれるらしい)。しかしスイカはウズベクに軍配が上がる。日本のスイカでは考えられないような甘みがある。全くの独断だけど。

さて夕方になり走行距離も100kmを過ぎてそろそろ切り上げたかったが、夕食をとるカフェが見つからない。だらだらと走り続けて120km走行した(GPSが何回もダウンしたので私の測定距離は短い)。空腹感が絶頂に達したときウォッカを一人で飲んでいる親父に呼びとめられた。こちらによくあるベッド兼食卓であぐらを組んで飲んでいる。ここは一応カフェでこの人は店の人間らしい。ここで夕飯を食べることにして自転車を停めてベッド(食卓)に上がった。夕飯はごちそうだった。親父にウォッカを勧められて、セーブしつつ付き合って飲む。もう暗いので今日はここに泊めてもらうようにお願いして承諾してもらえたしかし、食事を終わっても親父が飲み終わらない。ここから悪夢が始まった。私以外の二人が夫婦だということで別々の部屋をあてがわれたが、やっと親父を振り切って部屋で横になってからもしつこく親父が話しかけてくる。言葉は通じないがロシア語で何度も同じようなことを言っている。こちらが寝ていても無理やり揺り起こしてきた。それが30分おきだからたまらない。勝手にヘルメットに触られて荷物が落ちたのでついに私が怒り怒鳴りつけたところ、しばらくは来なかったがそのうちまた来た。2時くらいまでそんな調子だった。テントの方がはるかに快適だ。やれやれ。
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