シルクロード日記:キルギス
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 天候:くもりのち晴れ、
    にわか雨
 最高高度:3597m
最高気温:30度 終点高度:1751m
最低気温:6度 終点緯度:40.15.00
走行距離:108.4km 終点経度:73.24.27
走行時間:6時間48分 宿  泊:C川原
終着地:Gluchoから8km地点 宿泊代 :0
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2004年7月31日(土)
峠の高さを示す看板  これってヤク??
峠の高さを示す看板 これってヤク??
朝はフランス人パーティと一緒に起床。彼らの準備を横で見ていて楽しかった。その時に聞いた話だと、毎年夏休みを使って外国の山を登っているそうだ。彼らだって最初から7000m峰に登っていたわけではないから、きっと毎年挑戦するうちに登山技術が向上していったのだろう。夏休みは普通4〜5週間で、それでも満足せず6〜7週間ほしがる人がたくさんいて「crazy」と言っていた。医者も1ヶ月くらい休むのだろう。日本もそうならないかなあ。ちなみに以前にリトアニアの医者のところに遊びに行った時も夏休みは1ヶ月くらいと言っていた。...。...。彼らはタジキスタン方面へ向かうので私とは逆方向。宿の前で別れた。2台のタクシーの後ろ姿を見ていると何だかさみしくなった。日本人は欧米人に比べて一人旅が多いが、それは気質とが国民性だけじゃなくて、時間をなかなか作れないという現実的な要因が大きいと思う。毎回仕事を辞めて旅に出るのでは一緒に行く人も見つからないって。

ところで宿代は5ドル(1ドル40ソムで計算)だった。チャイ、朝.夕食1回40〜50ソムくらいで、宿泊代は1泊40ソム。部屋を7人でシェアしたから宿泊代は安くて当然。はやく経済感覚を身につけなくては。
サリタシュを出るとすぐに目の前に山が出現し、アップが始まる。ご丁寧に峠の高さを示す「3554m」の標識がある。う〜ん、サリタシュからずっと下りってわけにはいかないのか。さすが山岳国家、国土のほとんどが山なのだ。しかしサリタシュだって標高3000mを越えている。昨日の上りに比べれば軽い、軽いと自分に言い聞かせて何とかクリアー。と思ったのもつかの間、すぐに次の峠が現れた。今度は3600m。なんで無名の方が高いのか。ここからは本格的な下り、ひどい悪路をパンクに気をつけながら下っていく。時々大きい村があり、村と村の間もユルトが点在し、人間の生活域が途切れることはなかった。カフェは郊外で見かけることが多く、大きな村だから必ず食堂があるとは限らない。外食文化が未発達なのは、格安で朝食が食べられる中国とじつに対照的だ。40kmほど走ったところカフェに入ったが、ここの若い女の子は英語が通じた。あきらかに中国よりは英語が通用する。ここではピラフを食べた。新疆ではポロというが、こちらではブロフという。料金は55ソム。サリタシュの宿でソムを作っておいてよかった。

その後も下りまくり100km地点のギョルジュまでに2000mも高度を下げた。貯金を使うのはあっという間だ。ここのカフェはロシア人がやっていて、映画に出てくるロシア人のような厚化粧&おばさんパーマのお姉さんが接客してくれた。スープとナンを頼み満腹になった。うますぎ。ここでジュースを購入。中国と違って大きなサイズのペットボトルも普通に手に入るようだ。
この村を出ると別の川沿いの道に移るまで谷を上っていかなければならない。村を出てしばらくすると「2406m」の看板があった。看板のある場所は標高1700m、まだ先は長い。これ以上標高を上げると寒くなるし、ちょうど川原が目の前にあったのでキャンプすることにした。通りかかった地元の人にあいさつしたところ「うちに来なさい」と言われたが、疲れていて民泊するエネルギーがないのでやめた。テントのそばを馬で通りかかったおじさんが口笛を吹いたりはしたが、テントの近くには来なかった。さすが遊牧民、テントといえども立派な家ということだろうか。最近走行がハードで日記がたまっている...。どうしよう。ハードな分、書くことも多かったりして。
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