シルクロード日記:キルギス
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 天候:くもりのち雨、ヒョウ  最高高度:3541m
最高気温:18度 終点高度:3170m
最低気温:8度 終点緯度:39.43.59
走行距離:65.8km 終点経度:73.14.57
走行時間:7時間43分 宿泊:Bオロス宅
終着地 :SaryTash 宿泊代 :5$
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2004年7月30日(金)
青い流れへ茶色い流れが混じっていく  穴だらけの道
青い流れへ茶色い流れが混じっていく 穴だらけの道
朝、部屋に携帯電話のアラームが鳴り響く。携帯の着メ口で起きるのは何だか間抜けな感じだ。昨日から携帯は圏外だが、住人が持っているということは都市部へ行けば電波が入るのかもしれない。オシュに着いたら試してみよう。昨日のパンクを修理していなかったので朝から修理。思い返してみれば天山山脈越え以来のパンクだ。ここまで順調だったのだ。パンク修理の間に男性陣は朝食を済ませて仕事へ出てしまったので、子供たちと一緒に食事。昨日の夕飯もだが糖分が少ないので紅茶に砂糖をたくさん入れた。緑茶はない。ナンをいっぱい食べて何とか腹をもたせないと。出発直前に10ドルを払うつもりだったが、Tolikはもうおらず弟があせって請求に来た。ちゃんと払いますって。

村を出てすぐアップが始まり、工事が目につく。ブルドーザーには「北新路橋」と書いてある。例のオレンジ色のベストを着た中国人に話しかけられた。西安から4000km走ってきたことを片言の中国語で話す。ロシア語ではこうはいかない。それにしても中国人が工事しているとは。別にキルギスがバブルなわけではないのに。自国の力だけでは道路を作れないのだろうか。これから先はどんな道なのか心配になってしまう。道は舗装されておらず、しかもひたすらアップダウンが続き、かなりきつい。日本みたいに「ここを越えたら下り」ではなく一つ越えてもまたすぐ次がくるので、アップの距離がずっと長いのだ。住居は見かけないが通行車両は多く、みんなフレンドリーに接してくれる。とくに優しいのはやはりトラックドライバーだ。キルギスはウズベキスタンまでの通り道になっているようだ。この山はいつ終わるのだろうかと不安になりながら走っていると前方に検問所が出現。ここの年輩の軍人が日本人はビザ不要ということを知らず、確認のためずいぶん待たされた。こんなことで日没までにサリタシュに着くのだろうか。ここから8kmくらい走るとユルトが点在するようになり、いざという時には助けを求めることが可能になった。しかし昨日のことがあるので何とか今日のうちにサリタシュまで行きたい。

途中、何度も子供に声をかけられた。堂々と握手に応じて大人みたいだ。だがお金目当てに写真をせがむし、あまり相手にしないで進む。子供よりも問題なのは道路だ。穴は空いているし、昨日の雨で池はできているし、石は落ちているしっ誉めるところが一つもない完璧な悪路だ。全くペースが上がらないのでほとんど休憩をとらずにひたすら急ぐ。サリタシュ以降は道が良くなるらしいので、今日が勝負だ。こういう状況になると、装備満載で寒くてもテントを張れる方が楽だなと思う。50km近く走ってようやく本格的な下りが始まり希望が見えた。パンクに注意しながらサリタシュまで全力で急ぐ。するとあと5kmくらいのところで前方で車が止まりフランス人の女性が降りてきた。英語を話すキルギス人2人もいる。仲間のフランス人3人を探しているという。今日は誰もツーリストを見かけなかったので役には立てなかった。しかし同行のキルギス人が宿をやっているというので泊めてもらうことにした。ラッキー。私一人で先にサリタシュへ向かい、今日2回目の検問をあっさり通過。またしても強風と雨の中、サリタシュに到着した。交差点で「オロス」と言うと子供が家まで連れていってくれた。

まもなくしてフランス人一行も到着し、今日のこの宿のメンバーが全員そろった。彼らは6人組で夏休みを使いキルギスヘ登山に来ている。たしかに装備が本格的だ。雪を掘るスコップなども持っている。明日出発して7000m級のレーニン峰に挑むという。夏休みが1ヶ月以上あるのが当然の文化だから趣味も本格的になる。仕事と両立できていてとてもうらやましい。じつは遅れてきた3人はトラックの中から私を目撃していたという。「トラックと同じスピードで走り去っていった、クレージー」と言われてうれしかった。その印象が強烈だったようだ。彼らはもちろんアウトドア派だから自転車旅行の話題もいろいろと出て、かなり楽しく過ごした。夜は7人で同じ部屋に寝た。私以外はみんな寝袋。この宿がきちんと看板を出して登山隊向けにオープンする日も近いかもしれない。
(そういえば、ここのお父さんにウルムチでもらった日本茶をだしたこころとても喜ばれましたよ、吉野さん)
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