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2004年6月12日(土) |
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朝6時項にジーンズをはいた、やせた白人のおじさんが部屋に転がりこんできた。夜行バスで疲れていたのか、着くなり爆睡。みんな起きない中、ひとりで起きだしてバスターミナルへ。客引き(運転手)と交渉して60元で莫高窟と鳴沙山をまわってもらうことにした。大きなワゴンだったが運転手と私の2人だけですぐに出発。莫高窟は見応えのある大仏がありよかった。ただし入場料100元は高い。ガイドを付けずに入ったが、中国人のツアーに日本人が一人参加していて、私も彼について一緒にまわった。やはり日本人にはあまり会っていないと言っていた。その中国人団体は1ヶ月近いツアーで6000元もかかるらしく、けっこうインテリがいて英語でいろいろと話した。その中には卒後3年目のドクターがいて、夜に会う約束。中国の医療についていろいろと聞いてみたい。
その後、運転手と昼飯を食い、5時に待ち合わせを約束してホテルへ。部屋には新参者がいた。東京でカジノのディーラーをしていたという20代半ばの男性。手に職はあるといってもアンダーグラウンドなのが医者と違う。普通なら聞けない話をいろいろと聞けた。かなり話しこんだあとでバスターミナルで運転手と会い鳴沙山へ。ディーラーの彼も一緒に行った。想像以上に大きな砂丘でびっくり。景色は最高だし、帰りは砂丘をそりで下れたし、満喫した。
その後ホテルへ戻ると朝の白人(イングランド)がいて、ひと休みしてから3人で一緒にホテル&目の前のカフェでビールを飲んだ。西洋人のたまり場になっているらしく、デンマーク、ドイツ、カナダなどの人が来て一緒に飲んだ。かなり遅くなってから莫高窟で会った中国人医師、許さんも合流し、突っ込んだ話をいろいろと聞いた。
許さんから聞いた話を書こう(酒に酔って英語でやりとりしたので、もし内容が間違っていても勘弁して下さい)。中国の医大の学費は上海第二大学の場合、93年に400元/年だったのが、今は3200元/年だという。物価が上がっているから、と言っていた。大学の年数は以前は日本と同じく6年だったが、今は5年。卒業すれば自動的に医師免許がとれるらしい。卒後に専門を決めるのも日本と同じで、彼は3年前に大学を卒業し循環器内科に進んだ。今はちょうど大学院を修了して、臨床に完全復帰するまでの充電期間。ちなみに大学院は学費無料だそうだ。1ヶ月も休みがとれて、長期ツアーに申しこんだとのこと。大学院では心エコーについて研究して論文を書いたそうだ。今まで4本論文を書いたが、abstractのみ英語で本文は中国語なんだと悲しそうに言っていた。中国の医者がアメリカに留学するのは大変。許さんは「笹川奨学金」のテストを受けて結果を待っている。もし受かれば日本へ留学できる。でも中国全土で90人しか行けないという狭き門だ。医者の給料は安く、3生目で月給1500元くらい。そのためマレーシアやシンガポールに医者が流出しているらしい。
さらに聞いたことを列記しておく(わからない人は読み飛ばしてください)。
てんかんは主に神経内科で診るそうだ。
今いる病院は美容形成が有名たが、日本と同じく費用が高い。
胸痛患者に対してラピチェックは臨床では使っていない。救急でももっぱら心電図で診断している。
Schizophreniaは中国では「精神分裂病」と呼ばれる。ECTは行われていないような感じだった。
精神病患者の結婚は困難。したがって子供をもつことも難しい。いったん結婚してしまえば子供をもうけることができると言っていた。何か法的な規制があるのかもしれない。
さて、同室者のディーラー君はタイのワットポーでマッサージの講習を受けてきたとのことで、私は喜んで練習台となり、心地よく眠りについた。 |
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