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2004年6月10日(木) |
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![空心[土へんに敦]中継站の子供](../images/20040610b.jpg) |
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安西の中心部にあるモニュメント |
空心[土へんに敦]中継站の子供 |
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昨日は強行軍だったので疲れて朝は少し寝坊した。このきれいなホテルにもう一泊しようという誘惑があった。しかし、外を見ると昨日と同じく東から西ヘと強い風が吹いている。行くしかない。敦煌までの120km、ほとんど補給ができないので厳しい行程になるだろう。
安西の町は小さく、中心部にあるモニュメントを過ぎてから大して走らないうちに町は終わった。嘉峪関もそうだが中心が鐘鼓楼ではなくてモニュメントなのは新しい町ということだろう。
町を出て10kmほどで313号線は南から西へと大きく進路を変える。その手前に売店・食堂があり補給ができる。ここを過ぎると敦煌まで100km以上も補給不可能。地図では途中にいくつか集落があるかのようだが、廃墟だったりして実際には人はほとんど生活していない。曇りとぱいえ周りは砂漠、気温は35度まで上昇。おまけに追い風も途中で止まり、かなりきつい思いをした。日陰が全然なし。すっかり溶けたチョコをビスケットに塗って食べるがパワーが出ない。
敦煌の手前30kmあたりでバテバテになり、電波の中継所前で休んだ。敷地は塀で囲まれていて周りに日陰があるので、そこで昼寝しようと思ったのだ。しかし、なんと塀の中に人影が。子供が大人と遊んでいる。こんなところで暮らしている人がいるなんて。さすが中国。しばらくすると門を開けて招きいれてくれた。本当に助かった。中に入るとまず頭から水をかけてもらった。気持ちよかった!!そして一家の昼ご飯に便乗させてもらい涼面をご馳走になった。もちろん手打ち。おいしかった。さらには昼寝。家は狭くて余裕がないので、ソーラーパネルの下にマットを敷いて熟睡。これで回復し、必ず写真を送るからと約束して出発。
せっかくだから中継所の生活のことを書こう。地図に空心[土へんに敦]とあるが実際は中継所があるのみ。奏さんは空心[土へんに敦]中継站に8年も住んでいるとのこと。不便だねといったら「可以」だと。何とかなるって言っても大変だよなあ。奥さんと子供さんとの3人暮らし。子供は3才だから中継所で生まれ育ったことになる。この子が出ないように門はいつも施錠してあって、外に出ようとすると大声で怒られていた。たしかに外は砂漠と道路しかなくとても危ない。すごい環境で育っている。この子が大きくなって都会の学校に進学するまでを追えばドキュメンタリー映画が一本撮れると思う。
さて中継所を出た後も暑くて休み休みだったが何とか人間の生活している緑地まで到達。商店で休んだりしながら敦煌の町をめざした。もうすぐ中心部というところできれいな大洒店があり交渉。高いのでやめようとしたら逆に値段を聞かれて、280元が70元に。かなりきれいな部屋でホットシャワーも出るし、昨日に続く大当たり。中心部ではこの値引きはないだろう。
今日も大変な一日だった。明日からドミトリーで洗濯できないかもしれないので、最後にもうひとがんばりして洗濯を済ませて就眠。寝坊するぞ!! |
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