シルクロード日記:アゼルバイジャン
5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
       
Back
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
             
 天  候:晴れ  最高高度:--m
最高気温:--度 終点高度:--m
最低気温:--度 終点緯度:--.--.--
走行距離:--km 終点経度:--.--.--
走行時間:--時間--分 宿泊:D イリガールさん宅
終着地 :ガバラ 宿泊代 :0
Next
2004年9月22日(水)
キャラバンサライ  イリガール家
キャラバンサライ イリガール家
ウズベキスタンのホテルマルギラン以来のボロ部屋だ。水道はお湯どころか水も出ない。トイレは流れず、汚物が詰まっている。これで5$もするのはどうかと思う。旧ソ連諸国の地方都市はみんなこうなのだろうか。朝9時過ぎに電気がストップしたところをみると、この部屋に電気がくるのは夜だけのようだ。12時まで宿にいれたのだがすっかり目が覚めたので11時にチェックアウトした。ホテルの玄関前には今朝のオヤジがいて、友達とだべっていた。

この地方は18世紀のサファヴィー朝イランの崩壊後から、19世紀に帝政ロシアに征服されるまでの間、独立を保って繁栄した。その領主のシェキ・ハーンの宮殿がハーン・サライだ。ミニバスでキャラバン・サライの前まで行き、その後城塞の内部へ入った。そして宮殿まで行ったが、なんと改装中で中へ入れなかった。ちゃちでどうしようもない博物館を3000マナトで見学しただけでシェキ観光が終わってしまった。運がないなあ。でもシェキの町の雰囲気はよかった。山に囲まれた土地で緑が多く、古い石畳の道が町の中心部からハーン・サライのある高台まで続いている。

バス・ターミナルへもミニバスで行ったがとても混雑していて、あの小さなワゴン車の中でみんな立ち乗リしていた。当然体を曲げないと立っていられない。荷物はイスに座っている人が持ってくれた。私はバスターミナルで降りそこない、終点で折り返した後に降ろしてもらった。みんな親切だ。どこのバスターミナルも同じだが入り口付近ではタクシーが客引きしている。「ガバラ行きのバスはない」などと平気で言うが、窓口で聞くと14時にガバラ行きが出るという。タクシーには嘘をつかれてばかりで、どうも信頼できない。ともあれ、1日2本しかないガバラ行きに2時間待ちで乗れるのだからラッキーだ。昼ご飯を食べ、田中くんにもらった本を読みながら、バスの発車を待つ。黄色の車体が目をいく、とても古いバスで、料金は5000マナトだった。予定通り14時に出発した。ガイドブックでは1時間とあるが、オグズでの休憩を含めてたっぷり2時間かかった。上等そうなスーツ姿の酔っ払い男性が一人いて、隣席の女性を泣かせていた。女性が泣きだすとばつが悪くなりその隣へ移ってきて、今度は私に絡みはじめたが、そのうちその男性は寝てしまった。勘弁してくれ。

ガバラのバス・ターミナルは小さく、チャイハナが一軒あった。バクー行きの乗り合いタクシーはここから出ていた。チャイハナでお茶をただで飲ませてもらい話をしたところでは、ホテルガバラは営業していないらしい。他に宿はない。うーん。誰か泊めてくれるだろうと思っていたら案の定、チャイハナのおじさんが泊まっていけという。読書しながら閉店を待つことにした。「検屍官」という推理小説でけっこう面白い。みんながまったりとして実にいい雰囲気で、ゆったりと時間が流れていく。隣のテーブルに誘われ雑談していると「ジャッキー・チェン、ハラショー」と言われたので、私も彼が大好きだが日本人ではないのだよ、きっちり教えておく。世界的に見て、ジャッキー・チェンが日本人だと思っている人の方が、そう思っていない人より多いと思う。さて、そのテーブルで同席したイリガールさんに泊めてもらうことにして席をたった。おじさんには悪いがチャイハナはいつ閉まるかわからないので。

イリガールさん宅は建築中の家にそのまま住みついてしまったような感じで、冬はかなり寒そうだった。ちなみに今日もセーターが必要なほど涼しい。10、8、6才の三人娘が三者三様にみなかわいかった。昔の写真をたくさん見せてくれたが、ソ連時代に兵役についたらしく、東ドイツ駐留時の写真が多かった。夕飯は鶏を一羽しめてくれて調理してくれ、もちろんウォッカも登場。彼の弟も一緒だったので3人で1本ならそんなにきつくない。こっちの人もさすがに2人でウォッカを飲んでいる姿はみかけない。夜はみんなで布団を並べて寝た。
CLOSE