シルクロード日記:トルクメニスタン
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 天  候:雨のち晴れ  最高高度:--m
最高気温:--度 終点高度:--m
最低気温:--度 終点緯度:--.--.--
走行距離:--km 終点経度:--.--.--
走行時間:--時間--分 宿泊:A HOTEL NEBITCHI
終着地 :Nebitdag(バルカナバット) 宿泊代 :(100$)
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2004年9月13日(月)
これが「スパ」??  トルクメニスタン国会中継
これが「スパ」?? トルクメニスタン国会中継
夜に雨が降ったようだ。オシュで夕立ちを見て以来、1ヶ月以上ぶりの雨だ。でも今日はオフ。水たまりや泥で汚れずに済んだ。フロントに降りていくとセルゲイとゾーラが何やら話しこんでいた。ゾーラはオレンジ色のスーツを着て厚化粧でいかにもロシアのおばさんという感じの人だった。ホテルの人と知り合いのようで親しげにしゃべっていた。もしかしたらもともとこのホテルに泊まる予定だったのかもしれない。

ゾーラを通せばいくらか安くなるのではないか。私は今日ホテルを移ると思い荷物を全部持って降りたのだが、今日もここに泊まるよう言われた。セルゲイいわく電話回線が良好でアシュガバットに連絡しやすいから、と。実際、アシュガバットのボスから電話がかかってきて、近郊のスパヘ出かけるという提案をされ、賛成した。彼はとても渋い声で簡潔な英語で要点だけを話し、あっという間に電話を切る。セルゲイは英語がほとんどできないので、大事な用件はボスが電話で伝えるのだ。私は彼に会ったことはない。スパイ大作戦みたいだ。

というわけで今日はネビトダグ近郊のマラカラにあるスパへ行くことになった。ホテルを出てすぐの交差点で信号待ちをしているとダウン症の女の子が両親と手をつないで歩いていた。中央アジアに入って2ヶ月近くたつが初めて見かけた。表であまり見かけないということはきっと社会福祉が遅れているのだろう。イスラムは本来、精神病者に対して手厚いはずだからダウン症の人たちにも手厚いのだと思うが。さて、20kmほどでジゼルへ至り、ここでトルクメンバシュ方面への道が分岐する。明日はここを右に進んでトルクメンバシュへ向かうが今日は左へ。

スパはマラカラの村からと少し離れたところにあった。ボスは「スパ」といったが汚い沼といった趣きで、これをスパと呼ぶのは英語への挑戦だと思う。売店もカフェもなくさびれた雰囲気で、私たちの他にはトルクメン人の家族が一組いるだけだった。塩分が濃く、手を水に浸してから振るだけで水分が飛び塩が手に残る。泳ぐと口がめちゃくちゃしょっぱいはずだが海パンの子と、服を着たままのおばさん2人が大はしゃぎで泳いでいる。塩分が濃いので浮きやすいのだ。おばさんは2人ともこちらのおばさんの標準的体格、つまりとても太っている。それがプカプカ浮かんでいるのだから不思議な光景だ。私は泳がなかった。

車で市内へ戻り昨日と同じカフェで昼食。ミモザサラダがうまい。チーズがとてもおいしいのだ。ホテルヘ帰ると今度はテレビでプレミアリーグ観戦。ロシアのチャンネルはプレミアの中継やダイジェストがやけに充実している。トルクメンのチャンネルでは国会中継をやっている。交替で演説するだけで議論はなく、しかもバシュ不在で退屈だ。ちなみにバシュは大統領に加えて首相も兼任している。競馬中継もあった。トルクメン人は元来遊牧民なので馬が大好きだ。ちなみに昔は商人たちを襲撃して奴隷として売り飛ばし、恐れられていた。

夕方に外出しスーパー(マガジン)で買い物して明日に備える。お気に入りのレストランはパーティで貸し切りだったのでホテルへ戻り夕飯。値段は一流だが料理は普通だった。今日はプールサイドには誰もおらず静かで、よく眠れそうだ。
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