シルクロード日記:トルクメニスタン
5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
       
Back
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
             
 天  候:晴れのち曇り  最高高度:27m
最高気温:30度 終点高度:-4m
最低気温:18度 終点緯度:39.30.41
走行距離:92.7km 終点経度:54.21.08
走行時間:3時間15分 宿泊:A HOTEL NEBITCHI
終着地 :Nebitdag(バルカナバット) 宿泊代 :--
Next
2004年9月12日(日)
砂漠の中の町、グムダグ  地元の人が屋外で演奏
砂漠の中の町、グムダグ 地元の人が屋外で演奏
夜中に風が吹き荒れていた。外に出ていないので風向きはわからない。テントを張らないで本当によかった。そのあと風がやんだと思ったら、今度は追い風になった。朝起きて車の外に出た時にまだ追い風が吹いていたので大急ぎで出発。いつ風向きが変わるかわからないので今のうちに・・・と思い、時速30kmペースでガンガン飛ばす。途中から進行方向が北寄りになり、風が右から当たるようになった。風向きが変わったわけではないが同じことだ。でも今日は車の横を走ってうまく風の負担を減らすことができた。車体できちんと横風をブロックできるかは吹き方にもよるようだ。風向きから考えて車のここら辺を走ればOKという単純なものではない。それにしても今日も結婚式の車列が多い。日曜日だからか。

あっという間にグムダグへの分岐に着いた。幹線道路から左へ入り13kmも進んだところにグムダグの町がある。周りは砂漠で何もないので何キロも手前から町が見えてくる。まさに砂漠の町、雰囲気は抜群だ。緑が少なく全てが乾いているという点ではギジラルバットと一緒だが、こちらは生活感がある。子供が遊んでいたり、買い物帰りの人が歩いていたり。カフェではマンティ(中国でいうとマントウ)がうまかった。マンティがスープに入っているとピルメニという料理になるが、ここのはスープには入っておらずヨーグルトを直接かけて食べる。これもメジャーな料理だ。ロシア人のおばあさんがせっせと働いていた。こんな僻地でロシア系住民は珍しい。町の中心部ではおじさんたちが外に椅子を並べて演奏会をしていた。いい写真が撮れて満足。撮影意欲が復活してきた。

幹線道路へ戻ってから再スタート。今日中にネビトダグに着くのは間違いなさそうだ。強風で有名だと聞いていたがたしかに風が強い。大きな砂粒が飛んでくるのでひさびさにマスクを着用した。天山南路を思い出してなつかしくなった。病気かもしれない(笑)。しかし砂嵐も長続きせず、セルゲイとのコンビネーションで斜め後方からの風にうまく乗って意外に順調に進んだ。結局30km走ってネビトダグ市街に入った。伴走車付きで走ると決まったときにイメージしたサイクリングがやっとできた。

ところがネビトダグに着いてからが大変だった。予定では明日着くはずなので、ホテルまで案内してくれるはずのセルゲイの友人が不在だったのだ。案内人がいないため待ちぼうけをくらい、電話を求めて町を2時間もうろうろした。結局セルゲイは別の友人に電話を借りてアシュガバットに連絡していた。グムダグもここも電話局で電話が通じず、携帯電話はもちろん圏外。インターネットなど論外だ。この町にはホテルネビチという1泊100ドルもする立派なホテルがあるのだが、まさかセルゲイの独断でここに泊まるわけにもいかず、一生懸命アシュガバートに連絡していたらしい。とりあえずこのホテルで昼食。とても高いがおいしかった。チョルパとサラダ、ファンタで80000マナトもした。その後も友人はやはり不在で、結局1泊100ドルもするホテルネビチに泊まることになった。セルゲイは友人宅に泊まるとのこと。棚からぼたもちだ。

もっとも、公定レートだと1ドル=5600マナトなので100ドル=560000マナトと考えれば驚くほどには高くない。実勢レート(闇両替)では1ドル=24800マナトだから560000マナト=約23ドルとなる。ホテルや銀行は当然ながら公定レートで計算するので現地通貨(マナト)払いなら約23ドル相当で済み、外貨(ドル)払いなら100ドルかかるわけだ。こういうのは途上国や社会主義国で時々みられる現象で、外国人はドル払いを要求されることが多い。これも外国人料金の一種だと思う。

部屋は快適でテレビ、エアコン、バスタブ付き。窓の外には誰もいないプール。せっせと洗濯に励んでいたら、プールでパーティが始まった。トルクメンミュージックガ鳴り響き、みんなで踊っている。夕食はホテルではなく町のレストランで。これくらい大きな町になるとロシア人のやっているきれいな店が必ずあるものだ。久々のビールはうまかった。しかし帰りが大変。ホテルでパーティをやっているから、と警察が周囲をそこら中通行止めにしていたのだ。たらい回しにされること5回、セルゲイは激怒していた。たしかにこの国の警察は問題だと思う。まあ、警察が問題なのは旧ソ連全体がそうだが。

部屋に戻るとパーティが盛りあがっているのが見えた。しかし雲行きが怪しい。8日1日にオシュに入って以来毎日晴れていたが、久々に曇ってきた。そういえばもう1ヶ月以上雨を見ていないなあ。テレビではアシュガバットのバブリーな建物に囲まれた広場で花火が打ち上がっていた。けっこうまともな花火でレベルの高さに驚いた。マスゲームが繰り広げられ、バシュ(ニヤゾフ大統領)がにこやかに鑑賞し、国民に手を振っていた。北朝鮮さながらの光景だ。おやすみなさい、バシュ。
CLOSE