シルクロード日記:トルクメニスタン
5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
       
Back
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
             
 天  候:晴れ  最高高度:--m
最高気温:--度 終点高度:--m
最低気温:--度 終点緯度:--.--.--
走行距離:--km 終点経度:--.--.--
走行時間:--時間--分 宿泊:A ペンション
終着地 :Mary 宿泊代 :--
Next
2004年9月2日(木)
大グズ・カラからスルタン・サンジャール廟をのぞむ  仏教遺跡で物思いにふける
大グズ・カラからスルタン・サンジャール廟をのぞむ 仏教遺跡で物思いにふける
今日は走行せずにメルヴを観光する。チンギス・ハーンの侵攻でメルヴの住民は老若男女を問わず皆殺しにされ町も破壊され尽くしたという。モンゴル帝国は本当にきつい。朝セルゲイが迎えに来てまず博物館に連れていかれた。英語のガイドが来るまでに30分待たされた。展示は非常に少なく、メルヴの北100kmあたりで発見された青銅器、陶器、コイン、装飾品などが並べられ、高度な古代文明が存在したと主張するものだった。この国のことなので鵜呑みにしないでおく。その後、英語ガイドが手配できないとのことで夕方4時まで待つことになり、いったん宿に帰った。観光するのもひと苦労だ。

宿に帰ったら洗濯と日記書き。セルゲイはその間にハイエースのバッテリーを新品に交換。これまで何度もトラブルを起こしていたのでここで交換してもらって助かった。このハイエースはもうかなり(日本で)走ったようで、メーターがまわらず距離が測れないなど、見かけに比べてボロい。ちなみにセルゲイの運転マナーはとてもよく、市街地ではスピードを出さないし、赤信号になりかけで無理に突っ込んだりしない。まあ、私を乗せている時だけかもしれないが。さて、セルゲイの迎えで昼食へ出かけ帰ってきたら自転車の手入れ。意外と忙しい。悪路で振動が激しいわりにはネジの緩みはない。チェーンとディレーラーに油を差し、リアのシフトワイヤーに潤滑スプレーをした。これで変速が少しましになった。

セルゲイと一緒に現れたガイドはとても太ったロシア人女性で、遺跡についてきちんと説明してくれた。ただし、どれも非常に保存状態が悪かった。私がリクエストしてわざわざまわってもらった仏教遺跡もただの廃墟という風情で、土台しか残っていなかった。でもここが世界最西の仏教遺跡なのだ。中国からここまで、破壊された仏教遺跡を見るのに正直うんざりしていたが、これでお別れだ。中心の丘でしばらくあぐらを組んでぼうっとしてからその場を去った。メルヴ観光はマルゥからの移動を含めて3〜4時間あれば十分。

市内に戻りガイドの太った女性を降ろしたらカフェへ直行して夕飯。夕食代はツアーに含まれているのでビールをいっぱい飲む。今日はトルクメン産のビールを試したがまあまあだった。そういえばここはイスラム国じゃないのか?

日本を出てもうすぐ4ヶ月になるので、ずっと使っているもので不調なものが出てきた。まずは充電池(バイオレッタソーラーギア)。あきらかに持ちが悪くなり、GPSの電源がよく落ちる。最初の頃はGPSが1日半使えたのに最近は初日でも電源が落ちる。そこで昨日と今日を使って12本とも(充電器で)リフレッシュしてみた。これで復活するとよいが。あと気になるのはPDAのスタイラス。PDAの液晶シートをサマルカンドで交換してかなり書きやすくなったが、今度はスタイラスの先がつぶれて書きにくいのが気になる。こちらはパンク修理用に持っていたヤスリで少し鋭くして解決。あと、予想外に好調なのが携帯電話。ドイツテレコムのローミングサービスを使用しているのだが、中国の一部で(おそらく端末規制のため)不通になったほかは、キルギス、ウズベキスタンで問題なく使えた。なおカザフスタンの飛び地の近くを通った時はカザフの携帯電話として認識されたのでカザフでも使えるはず。そして、なんとここトルクメニスタンでも「438 01」という怪しい名前の携帯電話キャリアを認識して通話可能。すごいぞドイツテレコム。
CLOSE