シルクロード日記:トルクメニスタン
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天 候:晴れ
最高高度:--m
最高気温:--度
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最低気温:--度
終点緯度:--.--.--
走行距離:--km
終点経度:--.--.--
走行時間:--時間--分
宿泊:A ホテル トルクメニスタン
終着地 :アシュガバット
宿泊代 :--
2004年9月7日(火)
ニサ遺跡からコペトダグ山脈をのぞむ
黄金のバシュ像
昨日の夕食は全然ダメだったがホテルの朝食はまあまあだった。約束の9時を少し過ぎてから外に出るとハイエースがすでに停車していた。英語ガイドのトルクメン人男性、ターシャさんが待っていてくれてあいさつを交わす。この人、25オだがかなりの老け顔。とても聴きやすい発音で私としては助かる。
まずはアシュガバットの西15kmにあるニサヘ。紀元前3世紀のパルティア王朝の遺跡だ。土に還っているものが多く、ガイドがいないと何が何だかわからない。ゾロアスター教の神殿の柱の名残り、当時の水道管などを見れた。丘から見下ろしたところにある町は王朝の末裔の人々が住んでいて、顔立ちはイラン系で、トルクメン語に加えてペルシア語も話し、結婚式などに伝統的慣習がみられるという。
市内へ戻り中立の塔ヘ。大して高くないが周りの建物も低いので大統領官邸などが一望できた。そしてDN TOURSヘ行きパスポートを預けてビザの延長を頼んだ。ルースキー(ロシアン)・バザールはこの町一番のバザールだがあまり大きくなかった。まだ新しいバザールで清潔感があり水まわりもよさそうだった。ある商店で1ドル=24500マナトで闇両替できた。マリーよりレートが少し悪い。他の客も両替しにきていた。どっちが本業だかわからない。
その後ショッピングセンターへ。ここが一番大きいらしい。たしかに一通りのものはそろっているが高級化粧品とかテレビ・ビデオといった電化製品などの贅沢品はない。そして今度は壊されずに保存されているレーニン像を見学。ヨーロッパのCIS諸国ほど反レーニン感情は高くないようだ。昼食はカフェバーで。オーナーがサッカーファンらしく、ディナモキエフ、ディナモモスクワなどのスカーフが飾ってあった。
「トルコの大統領から贈られた」というモスクはフランスの建設会社が受注したそうで、まだ新しかった。完成したてのピカピカのモスクは新鮮だ。独立記念碑も新しくてピカピカだった。中でも目をひいたのは黄金の大統領像。各部族の長(英雄?)や伝説的な有名詩人はブロンズなのに。これはものすごいインパクトだ。ゴールデンバシュ。
絨毯工場は10畳くらいの部屋に織り機が4台あり、1台につき3人が職人技といえるすばやい手つきで絨毯を織っていた。夏休みなので1台だけしか使っていなかった。ここで半年くらい修行して目を養えば日本へ絨毯を輸入するビジネスができるかもしれない。ちなみに絨毯工場で働くのはすべて女性だ。
さすがに疲れてきた。パスポートはまだ手続きできていないので後回しにして、地図を買いに行った。本屋ではなく地図を扱う役所(図書館?)のような所で、かなり良質なものを100000マナト(4ドル)で購入。穴場を教えてもらいラッキーだった。
最後はアナウの遺跡。15世紀のティムール朝期に栄え、当時に建てられたモスクがあったが、1948年の大地震で倒壊してしまい今では廃墟があるだけ。こんなだったら昨日近くを通ったときに寄れば充分だった。なかなかキャンプによさそうなところだ。
ホテルに戻り休んでからDN TOURSの建物の地下にあるカフェバーへ。ここでパスポートを返してもらった。9/19までのビザを新たにゲット。トルクメンバシュからバクーへのフェリーは9/17発だが欠航が多いので2日余分にくれた。うまくフェリーに乗れるとよいのだが。