シルクロード日記:アゼルバイジャン
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 天  候:曇り  最高高度:--m
最高気温:--度 終点高度:--m
最低気温:--度 終点緯度:--.--.--
走行距離:--km 終点経度:--.--.--
走行時間:--時間--分 宿泊:A ARAZ OTEL
終着地 :バクー 宿泊代 :40000Am
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2004年9月17日(金)
バクー湾の朝焼け  ホテルアラズの部屋
バクー湾の朝焼け ホテルアラズの部屋
昨夜、船はあまり揺れなかった。学生時代にギリシャのアテネからトルコに近い島(名前を忘れた)まで船に乗った時は、手すりがないと前に進めないほどの揺れがずっと続いて大変だった。しかもあの時は一番安いチケットでデッキクラスだったので、今回とは雲泥の差だ。早朝の冷え込みはとてもきつくて上はフリースを着て、下は足首まである長いスパッツを履いて寝た。このペラベラズボンもそろそろお役御免かもしれない。朝6時半にドアをノックされて起こされた。窓の外を見るとまだ暗い中で町の灯りがたくさん見える。バクー湾に入ったらしい。昨日の午後2時に出たからほぼ予定通り約17時間の航海だ。しかし船はいかりを降ろして停泊し動く気配がない。なんと結局8時半までその場に留まっていた。おかげでばっちり日の出を拝めたのはよかったが、それにしても待たせすぎだろう。たぶんイミグレが8時半まで開かないんだと思う。ようやくエンジンがかかり船は9時に入港した。国境警備官が船内を検査してから下船を許可され、自転車に荷物をセットして入国審査へ。アゼルバイジャンの役人の評判は悪いので緊張した。しかし実際に会ってみるととても感じが良く、サイクリストを大歓迎してくれた。荷物のチェックは全くされなかったし、中央アジア諸国と違い税関申告書に英語版があって助かった。国境で荷物を開けられなかったのは中国以来でとても驚いた。ちなみにバクーもトルクメンバシュもX線検査装置と金属探知機があるが稼動していなかった。バクーには麻薬犬がいた。

ここからが問題だ。『旅行人』に載っている宿はどれも高い。この本の情報は4年以上前のもので古いから今はさらに値上がりしているだろう。本音をいえば物価の高いバクーにはもっと遅く着いてもよかったのだ。だってトルクメニスタンのホテル代と朝・夕食代はツアー料金に含まれているので新たな出費はほとんどないし、かりにフェリーが欠航続きでも念のためトルクメのビザは2日長めにとってあったのだ。・・・愚痴を言っても仕方ない。宿を探さないと。

地図を眺めているとペンキ塗りのおじさんが片言の英語で話しかけてきてハイアット・リージェンシーがいいぞという。そんなことわかっとるわい。1泊200$以上だぞ。バクーはいま石油パブルなのだろうか。そのままYusuf Safarov通りをまっすぐ北上していくと右手に「ARAZ HOTEL」の看板を発見。高いかなと思いつつ聞いてみるとトイレ・シャワー共同の部屋が40000アゼルバイジャンマナトで、部屋がきれいだったので即決。約8ドルだがこの町の物価を考えれば仕方ないだろう。中心部にも一応徒歩圏内だし、鍵付きのバゲージルームに自転車の置き場所を確保してくれた。

アゼルバイジャンマナトを持っていないので両替をしないといけない。先に部屋に荷物を置かせてもらい両替所を探しに行く。闇両替はないらしい。自転車で移動して近くに両替所を見つけ100$両替した。レートは1$=4900Amだった。トルクメンマナトは断られた。海を挟んでいるとはいえ同じCIS圏の隣国だぞ。頭が痛い。そのすぐ近くにチャイハナを見つけたので入った。緑茶はなく、茶の種類を聞かれることなく自動的にトルコ式チャイが出てきた。グラスもトルコのものと酷似している。ここではとき卵とトマトをフライパンで一緒に炒めたものを皆食べていて、私も注文した。おいしかった。

ホテルへ戻り1階へ自転車を保管してもらい、今度は歩いて外出。町のそこら中に両替所があり、ここはトルクメンマナトを扱っていた。しかし、21万Tmを両替したらたったの13650Amにしかならなかった。最悪だ。トルクメニスタン国内では闇レートで1$=約25000Tmだから21万Tm=8.4$だ。しかし、ここでは13650Amつまり2.8$にしかならなかった。価値が3分の1になってしまった。5$以上の損失だ。勘弁してほしい。がっかりした気分で市街を歩いているとATMを発見。中国では通信エラーのためキャッシングできず、中央アジアでは機械をほとんど見かけなかったが、バクーではできるはず。VISAカードを入れると認識され、ちゃんとキャッシングできた。成功したのはなんと西安の空港以来だ。その勢いでネットカフェも発見。バクー駅の南西の一角にいくつかあった。最初の店は満席で、二軒目に入った。データが送信できなかった上、日本語が表示できず、ローマ字のメールしかチェックできなかった。しかも接続速度が遅い。とはいえトルクメニスタンと比べれば格段の進歩だ。

いつの間にか夕方になり歩いてホテルへ。いったん休んでから外食するつもりだったが面倒くさくなり、カップヌードルで済ませてしまった。夜は部屋の目の前のテレビを親父たちが大ボリュームで鑑賞したため寝つきにくかった。この階は部屋が安いためかいかにもという中年親父がやたらと多く、独特の雰囲気だ。
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