シルクロード日記:トルクメニスタン
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 天  候:晴れ  最高高度:--m
最高気温:--度 終点高度:--m
最低気温:--度 終点緯度:--.--.--
走行距離:--km 終点経度:--.--.--
走行時間:--時間--分 宿泊:SEDAR HOTEL
終着地 :トルクメンバシュ 宿泊代 :(50$)
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2004年9月16日(木)
船から見たクラスノヴォーツク  10$払って泊まった船室
船から見たクラスノヴォーツク 10$払って泊まった船室
ホテルで朝食を済ませるとさっそくフェリーのチケット売り場へ。言われた通り10時に行くとたしかにチケットを売っていた。まず係の女性がパスポートをチェック。アゼルバイジャンのビザがなければここでアウトだ。そしてポリスコントロールヘ行き名前やパスポートナンバーなどを控えられる。そして再びチケット売り場へ行くと料金を告げられた。1人45$と自転車1台5$。ここではなく建物の反対側へ行きバンクオフィスで支払う。ちなみにフェリーチケットはツアー代に含まれているのでセルゲイがマナトで払った。もちろん公定レートで計算される。ずるいよなあ。そしてレシートを持ってもう一度チケット売り場へ。この段階でチケットが手に入る。

セルゲイが言うには船は今日の午後1時か2時頃に出るという。なんと予定が一日早まってしまった。欠航が多くて有名なので今日出たら明日は出ないだろう。だから今日乗れということだと思う。あくまで私の推測だが。しかしトルクメニスタンツアーが一日短縮されてしまい少し損した気分。もちろん払い戻しなどあるはずもない。まあ、でも結果的にアゼルバイジャンビザの入国日を間違えて一日早めたのが幸いした。もし9月18日以降入国にしていたら今日フェリーに乗れなかった。フェリーに一泊してアゼルバイジャンには翌日着くのだ。結果オーライというやつだろう。

急いでホテルヘ戻り荷物をまとめてチェックアウト。3週間ずっと車内に置きっぱなしの荷物もあり、忘れ物をしそうで恐い。港へ行く途中でバザールに寄り食料の買いだし。船内のレストランは高いので17時間の航海の間もつだけの食料を買いこんだ。そしてついにフェリー乗り場へ。段取りはこうだ。建物の右がチケット売り場、左が税関とイミグレなので、今度は左へ進む。まず税関申告書を記入。これはすべてロシア語の上に見本も張っていない。セルゲイに助けてもらって記入。特異なのは衣類を記入する欄があることだ。貴金属やコンピューターなら分かるが。お国柄というやつか。税関申告書を記入したら係官のチェックを受けて書類にサインする。この時に当然荷物チェックもある。アシュガバットで買った地図は問題なく、カバンもリアバッグの中を調べられただけで、フロントバッグはノーチェックだった。入国時に記入した税関申告書の提出を求められたが、ファラブで記入しなかったといったらOKだった。そしてパスポートコントロールヘ。ここで出国スタンプをもらう。ここでもアゼルバイジャンのビザをチェックされた。ここの係官は英語が話せた。これで乗船準備完了。ガイドが一緒だったからかもしれないが、友好的なムードで賄賂の請求はなかった。この国の役人も少しずつ良くなっているのかもしれない。

ついにセルゲイに別れを告げる時が来た。この旅の中で一番長く一緒に過ごした大切な友人だ。ロックをこよなく愛し、暴漢に襲われたときのために特太の鎖を車内に隠しているセルゲイ。いつかまた再会できると思う。さようなら。

先客のトルクメン人5人ほどと一緒に乗船すると船員にパスポートとチケットを預けるよう言われ、皆と同じように預けた。この船はアゼルバイジャンの船なので船員はアゼルバイジャン人のようだ。船室へ案内される前におばさんから10$払えばシャワー・トイレ付きの部屋を使わせてやると言われ、みんなでがやがや話していた。ロシア語なのでよくわからなかったが部屋を見て気に入ったので10$払った。その後別の女の人がシーツとタオルを持ってきて1$払った。そもそもチケットには「3等」とはっきり書いていなかった気がする。いったい私の本当の部屋はどこなんだろう。面倒くさいので周りにならって部屋代を10$払ったのだが、こういうのが私のよくないところだ。部屋は2段ベッドと机、ソファ、シャワー、トイレが備わっていて狭いけれど使いやすい。コンセントもある。ここで明日の朝まで過ごす。あまり揺れないといいのだが。
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